天使の詩(2) ~外部の体験

“外部”を経験するという言葉がポストモダン派の間で一時期語られることがありました。

それはどんな複雑で精密な構造を持とうと、それが単一体系(一つの規則)でのみ計画し実行に移すというのは内的な世界モノローグな世界にすぎないのです。よく会社の会議なんかでも行われていることと思いますが。『ベルリン・天使の詩』のつづきですが、今日は前にでて来た天使が今度は一人の人間の女性に恋をするという話です。

おくてな男子中高生ですと、クラスの女子に恋した場合、けっこう回りくどい方法を取ります。本屋に売ってある「恋の心理法則」などというタイトルの本を手に取って必死で読むのですがいざ意中の女子の前で打ち明けようとすると頭が真っ白になっておかしな行動に出るものです。実はこれが外部を経験することなのです。自分が押さえておいた法則が全く役に立たないところ、つまり彼女と対峙することになるわけですね。この女性は他者ですから一般に収まりません。一般論というのは事後的な解釈にすぎないのです。

 

 

英語版

①The angels see all humans on the face of the Earth, wherever they might be, and they can hear all their inner thoughts. ②However, the angels never experience anything, nor do they perceive it. ③What they grasp is only “form”, so to speak. ④They have watched human history all along, but have never lived, even once. ⑤Moreover, to them, history is nothing but simply a transformation of forms, and nothing actually happens.⑥ In other words, history does not exist. ⑦In the movie, their world is depicted in monochrome, and the moment angel Damiel, the main character, becomes human, it gains colors. ⑧He looks at his blood and experiences color for the first time. ⑨Of course, color is just one example. ⑩That is experiencing the outer part of “forms”.

⑪The angel Damiel tries to become human. ⑫That means renouncing his nature as an angel, and living in a finite world in which you have only one chance to live. ⑬Becoming a human being for him means loving another person (the woman).⑭ At that moment, he begins living in a world in which he can’t see what lies ahead of him. ⑮That is “a leap in the dark”.⑯ It is oh-so distant from the nature of angels. ⑰Nevertheless, angels wish to become human. ⑱That is experiencing the “outside”.

 

 

原文

天使たちには、地上の人々がどこにいようが見えるし、彼らの内心の声がすべて聞こえる。しかし天使たちは何も「経験」しないし、「知覚」しない。彼らが把握するのは、いわば、「形式」だけなのだ。彼らは人間の歴史をずっと見てきているが、一度も生きたことがない。さらに彼らにとって歴史は、たんに形式の変容でしかなく何事もそこでは起こらない。つまり歴史は存在しないのである。映画では彼らの世界はモノローグで描かれており主人公の天使ダミエルが人間になったとたんにカラーに転じる。彼は自分の流した血を見てはじめて色彩を経験するのだ。むろん色彩は一つの例でしかない。それはいわば、「形式」の外部を経験するということである。

天使ダミエルは人間になろうとする。それは天使たることの放棄であり、有限で一回的な世界に生きることである。人間になるとは彼らにとって「他者」(女)を愛することである。そのとたんに彼は、前方が見えない世界の中で生きはじめる。それは「暗闇の中での跳躍」である。天使たることとは、何たる隔たりであろう。にもかかわらず天使たちは人間になることを欲する。それは外部を欲するということである。

 

英文のポイント

 疑似分裂文

おそらく聞いたことのない文法ではないでしょうか? この大袈裟な名前は忘れてもらってもいいです。ただ形式パターンとしては

What …..is 名詞要素

そしてその逆パターンとしては

名詞要素 is what…..

があります。両者ともwhat節という名詞要素と他の名詞要素とを一対一に対応させるパターンで、「強調構文」において強調される語が「他ならぬ~だ」という意味が付随されるように、ここでは他の名詞要素のところにその意味がつくのです。

では「強調構文」との違いは何でしょう?

疑似分裂文は通常の節のどの部分であっても主題化して節の先頭に置くことができます(情報構造は節の先頭に置かれるのが主題)。

James offered Mary a beer.

というS V O O の節において主題を「ジェームスがメアリーに何を勧めたのか」に変更しますと

What James offered Mary was a beer.

というように主題(文の先頭)をS V Oに変換してもうひとつのOであるa beerをbe動詞の補語Cとします。主題を「誰がメアリーにビールを勧めたか」にすると

The one who offered Marry a beer was James.

というようにoffered Marry a beerというV O O をthe one who節に押し込みそれを主題としてJames というOをbe動詞の補語CとすればOKです! whatでは人を示すことができないのでこの場合はthe one whoを用いました。

さらに「ジェームスが何をしたのか」を主題にしたいなら

What James did was offer Mary a beer.

というようにoffer Mary a beerをwasのうしろにまわしwhat節の中の動詞をdidにするといいです。「何があったか」を主題にしたいなら

What happens was that James offered Mary a beer.

とすれば元々の節全体を題術にできます。

疑似分裂文を習得すると、情報構造における<前提⇒主張>がより理解できると思います。主題として先頭に置かれたwhat節が話の前提となり、be動詞のうしろが主張になるのです

情報構造詳細についてはこちらを参照に。

ティーブレイク

ここでは異性に恋する話が出てきますが、決して内面化しえない他者ということが重要です。つまり彼女のすべてを知ることはできないゆえに相手への畏怖と敬意が生まれるわけですね。古い話で申し訳ありませんが坂口安吾は永井荷風のことを通俗作家と呼んでそれを題材にしたエッセイを書きました。今風にいうと、荷風はプレイボーイだったのでしょう。相手、女の気持ちを巧みに読み取りそして操作したのかもしれません。初めに私がいったように、彼女と直面してこれまでの自分の法則が根底から崩れ基礎のないところで他者と関わるということがなかったのでしょう。

このテクストを書かれた柄谷行人さんは、川端康成の『雪国』もそういう面からとらえていますね。主人公はトンネルの向こうの哀れな芸者に同情するわけですが自分はいつでもそこから引き返すことができるのです。柄谷さんが憤りを感じたのはこの作品によってノーベル賞が授与されたことにあります。芸者を「日本」に置き換え主人公をアメリカ目線に設定したのではないかということもいえなくはないです。

安吾のいう「堕落」というのは、決してだらしなく生きろという意味ではないと思います。私の知る作家の中に安吾をケチョンケチョンに批判し、三島由紀夫の日本魂を持ち上げている人がいますが三島が天国にいるとしたらおそらく嘲笑していることでしょう。「堕落」はこれまでの共同体、日本国の道徳が形成される以前に帰るということに他ならないのです。