天使の詩(4) ~ヒューマニズムの否定

 

形式主義というのは可能な限り主観や感情といったものを排除しなければいけません。またまわりとのしがらみも断ち切って非常なまでに科学的であろうということもできます。アインシュタインがE=mc²という相対論の公式をみいだしたのも可能な限り雑音を捨て去ることができたからかもしれません。

経験的なものを重宝するあまり、グループから冷めた態度でいる人のことを人情味がないなどといって敬遠されることって多々ありますよね。でも私たちの習慣などというものは、全宇宙で起こっていることと比べれば当たり前のことですが非常にちっぽけなのです。非ユークリッド幾何学がまったく知覚を度外視し「平行線が無限遠点で交わる」という公理からそれがのちに球面ベースつまり地球ベースに応用可能になったという話が私は好きでよく記事にも取り上げているのですよ。こちらを参考に!

 

英語版

In another words, there is nothing privileged in being “formalistic”. It is a condition for life quite ordinary for the majority of us in the high-tech era. We only think that we “perceive” and “experience” all sorts of things, but, in reality, we are enclosed in a monochrome world, that is to say, in the world of identity. We are already used to seeing a bloody corpse through the cathode tube, but we have never seen the color of blood in reality.

However, being like an angel is indispensable and unavoidable. If we don’t once become thoroughly “formalistic”, we probably can’t become “humans”. Formalism is the death of humanism. However, at that point it can perhaps be talked of new “humans” for the first time. Of “humans” that can acknowledge this finite and limited life. Of what was supposed to be “angels”.

 

 

原文

いいかえると、「形式的」であることはべつに特権的な事柄ではない。それはハイテク時代においてわれわれのほとんど日常的といっていいような生の条件である。われわれはそこでありとあらゆるものを「知覚」したり、「経験」した気になっているだけで、実は天使と同じくモノクロームな世界、すなわち自己同一的な世界に閉じ込められているのである。私たちはブラウン管を通して血まみれの死体を見慣れているが、実際に血の色を見たことがないのだ。

しかし、「天使」たることは不可欠であり、かつ不可避的である。われわれはいちど徹底的に「形式的」となるのでないならば、「人間」にはなれないだろう。形式主義とは、人間主義の死である。だが、そこで初めて、新しい「人間」について語りうるかもしれない。有限で一回的なこの生を肯定しうるような「人間」について。それはもと「天使」であったはずである。

 

英文のポイント

 英語は節と節の関係がより大切

3つの論理関係

節と節との論理的な関係を大別するとこの3つになります。

 関係  数学的イメージ  等位関係  連結副詞
 イコール    =   :  in another word 「いいかえれば」
 プラス    +  and / but  also「さらに」/ conversely「逆に」
 かける     ×   so / for  therefore 「したがって」

 

今回は「イコール」の関係について掘り下げようと思います。

イコールの関係とは

それはすでに述べたことを角度を変えて述べることに尽きます。この関係を等位接続詞で示すことはめったにありません。言いかえの時に用いられるorぐらいでしょう。書き言葉で用いる記号ならセミコロン[;] が代表格です。連結副詞ならin another wordsを用いることができます。A=Bの関係です。

 

上の図のように節Bは節Aとぴったり重なりあうわけですから話は一歩も進みません。ただし抽象度の落差があります。

効率よく読むためには節が複数あろうともそれが言い換えの関係にある時は述べられている事柄はたった一つということです。

 イコールの関係の読み方

いわれていることは一つだということを判断しましょう。

 

補足
例文
だよ

① The research found that “internal factors hostile towards growth( eg. lack of innovation, fear of diluting ownership, or aversion to debt)dominate external factors conductive to growth (eg. lack of market growth, availability of loans/ overdrafts or high labour coats) ; and internal factors conductive to growth tend to dominate external factors hostile towards it.”  ② In other words,  companies that manage themselves successfully should have little to complain about what is not under their direct control.

①その研究によれば、「成長を阻害する内的要因(技術革新の欠如とか、所有権の弱体化を恐れる気持ち、負債を嫌がるといったこと)は成長につながる外的な要因(市場の成長がないこととか、借入・超過借入ができる環境、高い人件費など)よりも重要であって、また成長につながる内的な要因の方が成長を阻害する外的な要因よりも多くの場合重要なのである。」 ②いいかえれば、経営が成功している企業には、自らが直接コントロールできないこと(=外的要因)についてはほとんど不満を漏らす必要はないはずなのである。

 

 

まず、①の太字部分を省略しましょう。レポート構造(誰の意見か)と例示で示されている部分を省くのです。すると①が長いのは ;and によってふたつの節が結ばれているからということが分かりますね。

次に、主語Sの確認です。 ;andの前後にある節はどちらも、factors「要因」という抽象的な名詞が主語Sの中心にあります。これと②の主語Sであるcompany「会社」とどちらが抽象的でしょうか?当然、factorsのほうです。

さらに動詞の比較です。①ではdominate「~よりも重要である」という抽象的な意味の動詞が使われていますが②で用いられているmanage「経営する」、have「手にしている」、complain「不平をいう」といった動詞のどちらが抽象的でしょうか?もちろん、dominateですね。

このように①と②では抽象度において落差があるのです。こうした一節を読むには、①を読んでわかりにくければ②を読む。②を読んでわかりにくければ①に戻るという姿勢が必要です。②は比較的に具体化されているようですがwhat is not under their direct control「自らが直接掌握できない」に部分は分かりづらくないですか?そこで①にもどればexternal factors「外的な要因」のことと気づくはずです。

イコール関係で結ばれている節はその全体同士をイコールで結ぶのではなく、節のどの部分がどの部分のいいかえであるかをつかむのです。それによって効率的かつ正確な読みが可能になります

今日のテクストもイコール関係の節でつながっているのがほとんどですね。初めのIn another wordsは前のテクストの最期の節とイコール関係です。そしてそれ以降、主題がwe(現代人)で一致しているものが多い。これは文章の展開は行われていないわけです。例の列挙といえます。

ティーブレイク

 

構造に強いられた人間に自由・主体はありえるのかがここでは問われます。近代社会の強固な構造は私たちをがんじがらめにします。豊かになり消費に充てる時間が増えたといってもそれは変わりません。自由な行為と思ってやっていることでも、実は流されているにすぎないのです。たとえば、射幸心の煽られギャンブルにのめりこむ。ストレス解消にショッピングや旅行にでかける。こういった行為も厳しい見方をすれば、ある構造の中の「自然」「生成」の中で動かされているといえます。

このテクストの著者である柄谷行人さんによると、スピノザは自然(じねん)を超克することはできないといったそうです。ただ思考している間だけは、射幸心や情念から解放されるといったのです。考えるといっても最適な回答など見つかりません。この場合の人間は、構造を鳥瞰できる天使に比べるとかなり過酷な状況ですね。柄谷さんの言葉で言いますと「外部を何かポジティブな実体として前提することは、その外部は内部に属しているに過ぎない」。それをしているのが天使なのです。「新たな人間」になるというのは途轍もなく厳しいのです。