万物の根源は次元に応じて異なり絶対ではない

古代の思想家エンペドクレスは、万物の根源を「火、空気、水、土」としました。しかし現代では、物質の基礎単位と考えられてきた原子核でさえもっと分解しうるものだとわかってきたのです。そうすると、エンペドクレスは時代の制約によって遅れを強いられた不運な哲学者といえるのでしょうか。そんなことを考えてみました。

英語版
Physics has developed up to the present as an effort to identify the atom, that is, that which is itself not capable of further division. This search has moved successively from the atom named by Dalton in the nineteenth century to the subatomic particles (electron, proton, neutron) in the early twentieth century, to the stable of quarks, charms, spins, and symmetries by which we understand matter today. That is to say, what was once regarded as atomic, that is, indivisible, is itself found to be composed of particles subordinate to that. However, the discovery of an atom at a more fundamental level does not entitle one to dismiss as mere illusion what was formerly regarded as atom or element. For example, the molecule exists as a combination of atoms; however, that does not mean that it can be reduced to the atomic level. Things possess a different character at the molecular level than at the atomic level. Regardless of how elementary a level one arrives at, one cannot ignore the particularity of the preceding levels. In this sense, while Empedocles’s thesis of the four elements appears a half measure from the point of view of atomism, it could be said that he had grasped a quality that cannot be reduced to atomism.

 

日本語版
物理学は今日にいたるまで、「原子」、つまりそれ以上分割できないものを求めて進んできた。19世紀にドルトンが原子と呼んだものから、原子核(陽子、中性子)へ、さらに素粒子へ。つまり、一度「アトム」とみなされたものもさらに下位にある「アトム」の結合としてとらえられるようになる。だが、より基層にアトムが見出されるとしても、それ以前に「原子」あるいは「元素」とみなされたものが、単なる仮象として否定されるわけではない。たとえば、分子は原子の結合によって存在するが、原子に還元されてしまうわけではない。物は分子レベルにおいて原子レベルとは異なる性質を持つ。もっと根源的なアトムのレベルに到達することができたとしても、それぞれのレベルに存在する固有性を無視することはできない。そう考えると、エンペドクレスの四元素論は、原子論から見ると不徹底に見えるが、逆に、原子論に解消できない性質をとらえようとしているともいえる。

英文のポイント

 法助動詞による判断の強弱

助動詞というのは主語に対してでなく、書き手話し手の主観的判断が表れています。それを図にしますとこうなります。

強い肯定←           → 弱い肯定 弱い否定←           →強い否定
  HIGH     MIDDLE      LOW       LOW      MIDDLE     HIGH
  must

~である

ちがいない

 

 will

~である

ことだろう

 

 may

~である

かもしれない

 

 may not

~ではない

かもしれない

 

 will not

~ではない

だろう

 

 cannot

~ではない

に違いない

 

この図で分かるように、cannotは強い否定が書き手の主観として現れています。だから譲歩ではないので反対意見を述べるのではなくそのまま持論を推し進めるのです。そのうえで法表現には主観性・客観性の打ち出し方に違いがあるのです。主観性の極には語り手であるI「私」がおり、そして実際は主観的判断であるにもかかわらず、主観性を覆い隠して提示する客観性の極には、非人称代名詞Itがあるわけです。一例を図示しますとこんな具合です。

 主観性をはっきり示す  主観性を暗に示す  客観性を暗に示す  客観性をはっきり示す
  I think (that)         will        probably  It is probable that

英論文を読む上では、こうした法表現で筆者の表情を読み取ることができます。「いったん譲歩して、カウンターの反論を持ってくるのか」または「客観性をはっきり示すことで結論とするのか」といったことを意識することが大事なのです。

ティーブレイク

エンペドクレスがいう4種の「根」は決して物質を構成するものではありません。原子が物質、分子が生物を導くものだとすればこの4種は社会の構成を意味します。まず愛のみが支配し、4つの根が和合している時期。第二に、争いが忍び寄り4つの根が次第に分離し混合する時期。第三に争いのみが支配する分裂の時期。第四は愛が入ってきて4つに根が次第に融合していく混合の時期となるわけです。彼はヘシオドスが『神統記』で述べたことを意識していたそうです。四つのフェーズは、黄金の時代➡銀・青銅器の時代➡鉄の時代➡英雄の時代に対応します。第三の時期から第四の時期に移行するには愛の介入が必要なのです。