知の頂というものは存在するのか?

18世紀に生きたドイツ哲学者ヘーゲルは、思想書を精通している人の間でも理解するには相当の労力がいるといわれています。大学の新入生なら「精神現象学」は始めの数行でギブアップするとかも。私自身は直接、素手で立ち向かったことはありませんが、彼を批評する本は何度か読みました。

たとえば単純化しますと、彼の弁証法は正と反が対立しながら互いを相克しより高次な次元へつきすすむ。さらにそれに対する対立が発生するとまた上昇していき絶対値に至るというわけです。ですが、この弁証法の対立はモノローグにすぎないという見方があるのです。

法定での裁判をうかべてください。そこには検事と弁護士の共通の規則をもとにした言語ゲームがあります。回を重ねるにつれ当事者である原告も被告も疎外されていくというのはよくあります。夭折したキルケゴールはヘーゲル弁証法に対し自分のものを「質的弁証法」と豪語しました。他者とのコミュニケーションに合理的根拠はない。

ヘーゲルならキリスト教は世界に広まったからイエスはキリストとなるのかもしれませんが、キルケゴールにとってのキリストはこの目の前のみすぼらしい男をキリストと思えるかどうかだというのです。そこに「暗闇の跳躍」が要求されるのです。彼のキリスト教は躓きの可能性を与える質的弁証法ということですね。

これまで、「古代ギリシャの反ロマン主義者」「ロマン派の情熱」で3つのセンテンスを扱ってきました。今回は④⑤を解説したいと思います(文脈上①~③も掲載しておきます)。

① Plato banished poets from his state because they did not understand the products of their own making and as a result would damage language itself.  ② Late eighteenth-century romanticism forever altered the relationship between philosophy and poetry. ③Romanticism gave a legitimacy to the cognitive drives of the body, to sense, emotion, passion, and so forth, all of which were favored over formal knowledge.

ここからが今日の本題です。

④ Hegel integrated this contradictory relationship between reason and sensuality into his account of Geist, or  world spirit, and in the process he aestheticized reason itself.  ⑤ Aesthetics,  the name given to this privileging of the cognitive impulses of the body, was understood to mediate between reason and sensuality.

④の主題はHegelですがこれまで出てこなかった固有名詞です。ここでも、このHegelがこれまでの文脈とこれからどう関連していくのかを読み進めていきたいですね。そしてandの手前までがひとつの文(名詞節)として成立しています。

順接(and)の後の節(文)は副詞要素M2(in the process)が主題なのです。これが先頭にあるときは旧情報の確認と同時にその節の内容を理解する際に念頭に置いておくべき背景知識を与えているのです。

M2 S V の語順における情報構造の解説はこちらをご参考に

⑤の主題はaesthetics、これは④の2番めの節の末尾とつながっています。これを主題に置くということはさらなる展開が期待できるのです。コンマで挿入された句は、前提となる主題に対してもう少し説明が必要ではないかという筆者の意識が働いています。挿入区内は名詞the nameに過去分詞句given to~がかかっていることは分かると思います。学校ではgive +O(物)+to(人)と教わりましたね。その受動態です。

小難しい話でしょう?でもこういうの繰り返し読むと結構ハマるんですよ。「人間とは?」「なんのためにいきているのか?」とか。

④⑤を訳してみます。

「④ヘーゲルは理性と感性とのこうした矛盾を、彼のいう魂、世界精神へと統合したのだ。そしてこの過程で理性そのものを美学化したのである。⑤美学というのは身体の認知的衝動にこの権威づけをされたものであるが、それは理性と感性をつなぐために理解される。」

文章の構成

① プラトンによる詩人の蔑視。構築という概念を持たないがゆえに。

②③ 18世紀後期、哲学と詩の立場を逆転させるロマン派の台頭。身体的認知、感情、感覚を重視。

④⑤ ヘーゲルはこの対立を世界精神へと統合する。ただし理性を美学化することで(哲学と詩がそれぞれ理性と感性にいいかえられている)。

内容についての私見

近年、IT技術が急速に普及かつ進化していく中で社会に対し人間はどんな貢献ができるのかという問いが沸き起こっています。「99%の会社はいらない」といったタイトルの本も売れているようですし。ただしこうした反動からロマン派、人間中心主義も起こるのでしょう。

重労働から人間を解放した産業革命、それに対しラッダイト運動によって自動車をハンマーでぶっ壊すという怒りを表明したという事実もあります。いつの時代も技術の進歩には、人間の焦燥が見え隠れするものです。私たちはこうした優れた書を読むと、一度この人間性というものを括弧に入れる必要を感じざるを得ません。

筆者は、もちろんヘーゲルに対して批判的です。結局彼の弁証法というものが、高次の絶対知に到達するのではなく悟性、感性、想像というこれまでこれまでバラバラであったものを三位一体としたからです。因みに悟性というのは、感性とつながって初めてより強固な理性となるそうです。

そうすると私たちは、哲学の問題、詩のロマン、美的想像力というものを別々にとらえてそれぞれの問題を解決するわけにはいかないのです。