安らぎを与えてくれる「風景」、それはいつ現れたの?

「きれいな景色」といいますと、旅行好きやピクニック、キャンプなどアウトドア派が好きそうなものですね。週末の日本は行楽シーズンになると桜、紅葉を見ようと観光客が押しかけてきます。私自身も好きでリフレッシュとして誘いがあれば参加します。

ところが、私たちが見る「風景」というのは江戸時代から客観的に存在したものなのでしょうか?批評家の柄谷行人さんは『日本近代文学の起源』のなかで、これが実は内向的人間によってつくられたものだと指摘しています。

印象的だった話は、国木田独歩という小説家の『忘れえぬ人々』です。今どき文学といわれても困るといわれるでしょうが、これは考えさせられますね。

主人公はある宿で初めて会った秋山と交流を深めていたのですがある時期からそれが途絶えたのです。二年後そこの宿に再び赴き、当時、秋山に見せた原稿「忘れえぬ人々」の最後に付け加えたのは「亀屋の主」(そこの宿の主)であって「秋山」ではないのです。

これはショッキングですね。しかし日本人の見る「風景」なるものはこうして見出されるのですよと言っているわけです。自分にとって影響力のある人、何らかの形で自分に関与してくる人、そうした人のことを故意に忘れ、どうでもいい人のことをいつまでも思いつづける。これを柄谷さんは「内面の勝利」と呼びます。独歩の代表作「武蔵野」もそうして書かれたものと酷評します。読者は美しい田園風景を思い浮かべるでしょうが。

同じことが、村上春樹の初期にもいえるそうです。「1973年のピンボール」は固有名詞が出てきません。極端にいいますと人間を無視する作品なのです。しかし『ノルウェーの森』では普通に固有名詞が出てくるんですよ。そこから一気に読者が増えたらしいのですが。

実は『ノルウェーの森』の固有名詞も独歩がつくった「風景」といえます。つまり、外界への無関心から生じる記号なわけです。

柄谷さんの独歩・春樹への批評を上げておきましょう!

① As I mentioned earlier, this is the repetition of something that belongs to the lineage of “modern literature” brought about by Doppo. ② In other words, it is the reemergence of the sleight of hand in which real “struggles” are abandoned and through this abandonment, made into an internal victory. ③ Murakami appears to have negated the “interiority” and the “landscape” of modern literature. ④ But what he actually brought about is “interiority” and “landscape” in a new dimension, and the solipsistic world of this dimension has become a self-evident foundation for the young authors of today.

(私の訳)

①前にも述べたように、この反復は独歩がもたらした近代文学の線上に属する何かである。②いいかえると、それははぐらかし手法の再現であり、そこでは現実の”闘争”が放棄されそれによって内面の勝利に転じる。③村上は一見すると近代文学の”内面”と”風景”を拒絶したかに見える。④しかし実際彼がもたらしたのは新たな次元での”内面”と”風景”なのだ。この次元の独りよがりな世界は今日の若い作家にとって自明の基礎となってしまった。

 英文のポイント

④のセンテンス

What節 is  名詞要素

は高校の時教わった強調構文の変種形なのですよ。

It is ~ that …. 

ですと~の部分はまず「他ならぬこれこそ」というニュアンスが入ります。強調したいことを先に述べ,that以下が自明性・結論を示します。thatでなくてwhoやwhichなどの疑問詞の場合、その性格上、新たな展開も期待できますよ!

ところが、What is 名詞要素ですと疑問・問題提起を発することで読者に関心を向ける効果が期待できます。そしてそのあとの名詞要素に「他ならぬこれ」というニュアンスが注入されるのです。

私見

私たちが、過ぎゆく夏に海を見ながらたそがれるというのは確かに余暇、リフレッシュでやっているわけです。美しい雄大な海というのは本当のところ日常に無関心になったときに見えるのかもしれませんね。

旅行が好きな人、自然と一体化できる人は実際は内向的であるということがよくあるということです。ここの英文で出てきた闘争という語が大袈裟なら抑圧してくる組織または価値観の違う他者との関係といいかえればいいと思います。

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