20世紀末にひとりの知識人が見たIT社会の青写真

80年代に高校教育を受けたものですから、現代社会の授業で再三「情報化社会」という単語が現れてもピンときませんでした。多分教えている先生もそうではなかったでしょうか。

なんせ主な情報源は新聞とテレビに限られていましたからね。正確な情報を与えることよりも大衆操作に用いられていますよね。今日でもテレビ局のプロデューサーはスタッフに「偏差値40レベルの人にもわかるようなものを創れ」とか言っているそうです。

しかし21世紀も20年近くたちつつあります。誰もがPC,スマホをもちメディアも多様化してきました。20世紀末、まだウィンドウズ95が出るかどうかのときに情報化社会の予測をした人がいます。

原文より
Whether it is to popularize the news of a scientific discovery and the technical prospects it opens up, to announce a political event, or to publish figures enabling one to analyze an economic situation, the universal information system is becoming more and more egalitarian  and generous, ceaselessly reducing the old discrimination between elite in power, who knew little and the common people, who knew nothing. 

ピリオドで区切るなら、すごく長いのですがこれで一つの文なのです。今はあまり知りませんが受験戦争時代の国立大の入試問題です。因みに金沢大学です。

英文のポイント

 Whether…… A  or  not (or B)   にはふたつの意味がある

a)  <選択>で「Aであるかないか(AであるかBであるか)

b)<譲歩>で「Aであろうとなかろうと」(AであれBであれ)

のどちらかの意味になります。

a)では名詞節として、b)では副詞節の機能を果たします。ここで答えておきますと、このセンテンスは<譲歩>の副詞節でorがふたつあるため「AであれBであれCであれ」の意味になるのです。

どこまでが副詞節であるかお判りでしょうか?

それは、an economic situation, までですね。なぜこれを副詞節と判断できたかというと、主節の the universal information system~が第2文型S V Cとして完結しているからです

 <be +to不定詞>

この用法は<予定>または<義務>の意味を持ちます。

(主語の it はこの引用文の前に記述された状況を指します。具体的には「コミュニケーション手段の多様化で私たちに浴びせられる言葉やイメージの量が以前には考えられなかったレベルにある」という状況のことです。)

 分詞構文を用いるときのコンマの有無

a) <V’-ing ~, S V…>

分詞構文は場面設定・背景で、主節が主張となります

b) <S V …~, V’-ing~>

主節は抽象的で分詞構文で具体化しようという意図があります

c)コンマがない場合は分詞構文と主節の間に連続性があり、情報上のレベルの差はありません。

このセンテンスでの用法はb)で抽象⇒具体へと展開しているのです。

 

訳出例
 こうした状況から、科学上の発見の知らせや、その発見によって開かれる技術上の見込みが大衆に伝えられる、政治的事件が公表される、またいろいろな数字が公表されて経済状況を分析できる、といったことになるだろうが、いずれにせよ地球規模の情報システムはますます人々に平等をもたらす豊かなものになりつつあるわけだ。すなわち今解消されつつあるのは、従来の差別、つまりほとんど何も知らずに権力を握っていたエリートと、何一つ知らなかった一般大衆とな間の差別なのである。

マイ解釈

この英文は1996年に出版されたものから取り上げたものです。たしかにこの予見は卓越しています。株券の売買にしたって世界中の取引所で、仕事の休み時間中にサクッと契約が可能になりました。

この論文ではエリートと大衆の対比で展開されていますが、実はこれまでもエリートというのは意外と情報を持っていなかったのだなということがわかりました。彼らがただ権威ある場に立てることができたのは、0%しか知らない大衆に対して1~2%知ることができたからにすぎません。

ということは、これまで暗記中心でのし上がってきたエリート層の地位はリセットされることになるわけですよね。事実そうなりつつあります。いかに貴重な情報にアクセスできるか否かが問題なのです。ここではエリートと大衆の区別は無化されすべての人が平等になるといっています。

でもそんなことはありません。資源はあまりにも膨大です。そこにアクセスできる能力、そしてその過程で浴びせられる情報の真偽判断。こういったものを考えるとこれまで以上に差が大きくなるといえます。

事実、侮蔑的な情報弱者ということばが定着しつつあるのですから。切実に日本の教育は変わらないといけないと思います。既得権益といった複雑な要素も絡みますが。

 

受験しない受験勉強は楽しいし役に立つことが多いなあ。

 

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