民主政に抵抗するイソノミアとは何?

自由と平等、この二つは突き詰めれば異なる原理から生まれてくるものであるというのは多くの評論家もいっています。現代の極端な市場第一主義ですと、弱肉強食で富を多く得たものは何不自由なく人生を謳歌できますし、生存競争に敗れればホームレスに陥ってもおかしくないのです。自由はそういったものを含むのですね。

しかし、ある地域・団体、国家で平等を実現しようとしますと、それは上からの強力な権力を持ってこないとできません。どちらかといいますと弱者救済の要素が濃いのではないでしょうか。資本家は悪いことをやっているに違いないから国家権力でその富を奪取し、庶民に分け与えようというものです。

55年体制以降、日本では一時的に奪われたことはあったにしてほとんど「自由民主党」が政権を担っていました。この名前を取ると、自由と平等を目指す党ということですが、これらは相反するものなのです。なし崩しで存続し続けているにすぎません。矛盾はこれまで何度も出てきました。それで、民主主義の原点、アテネの民主政治に立ち返ってみればどうかという主張が学者の中から出てくることがあるのですが、実はそこにすでに難点があったということもできます。「全体主義の起源」を書いたユダヤ系女性哲学者のハンナ・アーレントもまた古代アテネの民主主義をこう考察しています。

英語版
Freedom as a political phenomenon was coeval with the rise of the Greek city-states. Since Herodotus, it was understood as a form of political organization in which the citizens lived together under conditions of no-rule, without a division between rulers and ruled. This notion of no-rule was expressed by the word isonomy, whose outstanding characteristic among the forms of government, as the ancients had enumerated them, was that the notion of rule (the “archy” from αρχειν in monarchy and oligarchy, or the “cracy” from κρατειν in democracy) was entirely absent from it. The polis was supposed to be an isonomy, not a democracy. The word democracy, expressing even then majority rule, the rule of the many, was originally coined by those who were opposed to isonomy and who meant to say: What you say is “no-rule” is in fact only another kind of rulership; it is the worst form of government, rule by the demos. Hence, equality, which we, following Tocqueville’s insights, frequently see as a danger to freedom, was originally almost identical with it.
日本語版
政治現象としての自由(イソノミア)は、ギリシャの都市国家の出現と時を同じくして生まれた。ヘロドトス以来、それは、市民が支配者と被支配者に分化せず、無支配関係のもとに集団生活を送っているような政治組織の一形態を意味していた。この無支配という観念はイソノミアという言葉によって表現された。古代人たちが述べているところによると、いろいろな統治形態の中でこのイソノミアの顕著な性格は支配の観念(君主政monarchyや寡頭政oligarchyの αρχεινー統治するーからきた“-archy”や民主政democracyのκρατειν―支配するーからきた“-cracy”)がそれにまったく欠けている点にあった。都市国家は民主政ではなくイソノミアであると思われていた。「民主政」という言葉は当時でも多数支配、多数者の支配を意味していたが、もともとはイソノミアに反対していた人々がつくった言葉であった。彼らはこういおうとしたのである。「諸君たちのいう「無支配」なるものは、、実際は、別の種類の支配関係にすぎない。それは最悪の政治形態、つまり、民衆(デモス)による支配である。」すなわち、トックヴィルの洞察にしたがってわれわれはしばしば自由に対する脅威だと考えている平等は、もともと、自由とほとんど同じものであった。

英文のポイント

受動態とは

主題選択から見た受動態の意義

能動態と受動態は書き換え問題などで出てきますが、主題が全く異なるものです。

まず、形式的・構造的に見れば受動態はS V O のOを主語Sの位置において動詞をbe V-ed(過去分詞)であらわしたものです。もともとの主語Sはそれが必要な場合に限って、末尾にby…という形で配置されます。

受動態はもともと目的語Oを節の先頭に持ってくるという点では、O S V の語順と同じです(この構造についてはこちらを参考にしてください)。しかし受動態の場合はO S Vではなく、あくまでS Vです。目的語Oはもはや目的語ではなく主語Sになっています。ここは肝心です。

主題としての主語Sはノーマルな従って、書かれていること以上の意味はない主題でした。よって受動態の主題も、この無職の主題です。これに対し、O S Vの主題である目的語Oは、非常に目立つもので強いコントラストや前景化の意味が加わるものでした。こうして主題選択という点から見れば、受動態は、本来の目的語を節の先頭に配置しながらも、そこにコントラストや前景化が生じないようにする技法といえるのです。

ex) ①The history of literature is largely dominated by writers distinguished in their lives and works by their compassion for people and their love of people.②Writers, being human, have been moved by the suffering of other men.

「 ①文学の歴史を担ってきたのは、主としてその生活においても、また作品においても、人々に対し共感を持ち、また人々を愛しているという点で卓越した作家たちである。②作家たちも人間である以上、その心を動かしてきたのは、他の人々の苦悩なのである。」

この例文の①は受動態でby~がついています。能動態に変えると

Writers distinguished …dominate the history of literature.

となってテーマが「文学の歴史」ではなく「…な作家たち」に代わってしまいます。「作家たち」ではなく「文学の歴史」をテーマにしたいから受動態が使われているということを忘れてはいけないのです。

情報構造からみた受動態の意義

例文の①ではby~以下が非常に長いですね。by~は普通の受動態では用いられることが少ないのですが、by writers..があるということはその部分の情報価値は極めて高いのです。実際、次節の②では主題がWriters「作家たち」になっています。つまり、①の末尾でwritersを新情報Aとして導入しておきながら②でそれを旧情報として主題化するという手順を踏んでいるのです(新情報・旧情報に関する解説はこちらを参考に)。

in fact の用法

明確化の in fact

in fact 「実際」は文字通り言いかえを表すのではありません。これは、すでに述べられた事柄をより一層際立たせるための情報を提供しますよという合図なのです。ただ、読むときにはイコール関係だということを意識しておければ十分です。英語長文ではたびたび登場します。ウオーミングアップしましょう。

補足
例題です ①We are non-violent most of the time. ②Most social interactions of most people involve no use of physical force.③ But every person is potentially violent, and some people are violent in a significant proportion of their dealing with others. ④In fact, violence or threat of it is central to some people’s strategy for coping with life.  「①われわれはほとんどの時間、暴力的でない。②ほとんどの人々の、ほとんどの社交的交流には、身体的な力の使用はまったくしていない。③だが、あらゆる人が潜在的には暴力的であり、さらには、他人を相手にする際にかなりの割合で暴力的になる人もいる。④実際、暴力、あるい暴力を働くという脅しが、ある種の人々にとっては、生活に対処する戦略として極めて重要なのである。」

①・②と③・④とが一つのまとまりであることが分かりますね。それが③の「譲歩から主張」へと転じるButで結びつけられているのです。①②のmostは譲歩の姿勢を示す法表現とみなせます。このパラグラフは、(譲歩)①具体⇒②抽象⇒(主張)③具体⇒④抽象という構成になっています。

対比としての in fact

in fact にはbutやhowever のすぐ後において対比関係を用いることもあります。

He went about as as expert, but in fact he was unqualified.「彼は専門家として仕事をしていたが、実際には彼には資格がなかった」

but in factやhowever, in fact の場合には対比関係を読み取り、butやhoweverがないときにはイコール関係だと判断してよいのです。

in fact の意味が隠れているパターン

 ⅰ)非制限用法の関係節
 ⅱ)文末に付される分詞構文

この二つの構文にもin fact が示す明確化の関係は潜んでいることがよくあります。

ex) During the past century, capitalist production has destroyed the self-sustaining recycling system of the natural environment, with which humans had worked in harmony for a long time as agricultural producer.

「ここ一世紀ほどのうちに、資本制生産は自然環境の再生産システムを解体してしまった。(実際)それとともに人間は農業従事者として長い間上手くやってこれたのだ。」

ex) TV makes so few demands, leaving one with plenty of attention to give to the noisy grandchild or talkative aunt.

「テレビは見る側にほとんど何も要求していない。(実際)十分な注意力をうるさい孫やおしゃべりな叔母に向けることができる。」

ティーブレイク

古代のギリシャにはアテネと対立するスパルタという小国家がありました。「スパルタ特訓」とかいうくらいで民衆に厳しい制約を課す体制ですね。個人を犠牲にして平等・同一性を実現するスパルタに対し、アテネは市場原理を求めるから正当だというのは浅はかですよね。さらに、民意を直接反映できる「直接民主主義」は市民が働かなくて済む奴隷の上で成り立っていたのです。もっというと他のポリスを支配する帝国主義的な膨張によって可能だったのです。

オルテガ・イガセットという哲学者は「大衆の反逆」の中で一般庶民の行動をケチョンケチョンに罵倒したことで知られています。彼らの欲求や衝動というものは、気づいてはいないが上に立つ権力者たちに操作されたものです。日本なら日露戦争で勝利したとき、もっと領土を取れと群衆が躍起になって日比谷の交番を燃やしたという日比谷焼き討ち事件がありました。そこまでいかなくとも、現代ですと「結婚して、一軒家を持つことが一人前のおとこだ」という風潮なんかも国家・建築業・銀行が手を組み上手くつくられたものではないでしょうか。

ファシズムを見るまでもなく、思考停止させられ、そのことにすら気づいていない市民の(受動)感情に火が付くとそれは恐ろしいです。先に自民党は、「自由」と「平等」という異質な原理を適当につなぎ合わせたと申しましたが、哲学者の柄谷行人さんは「友愛」によってそれは可能だといわれました。「友愛」は画一的・閉鎖的な教育によって行われます。皆さんも義務教育を受けたことでしょうが、そういうことも少し気にかけておいた方がいいと思います。とりとめのない話になりましたがここら辺にしておきます。


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